バブル崩壊後、この業界もご多分にもれず打撃を受けました。40年の成長の後、初めて売り上げ減という事態に直面したのです。そこで起こったことは単なる価格競争と、規模拡大の抑制でした。売り上げが落ちたとは言っても、まだまだ今に比べると利益水準は高かったので、特に構造変化する必要がなかったのです。
1995年のウインドウズ95の発売も、業務のデジタル化をもたらしたものの、広告主への提案や、消費者との関係に変化を与えるものではありませんでした。
今考えるとここが1つの転機だったと思います。アナログ中心の提案からデジタル中心の提案へと組織が少しずつでも変わっていけば今のような惨状は少しは逃れられたかもしれません。ただ、それはコスト的に合わないのと、痛みを伴う変革になるので、先送りにされました。
そして、そうこうしているうちに今度は『ITバブル』という救世主が現れました。そこで始まるネット革命などには目もくれず、また古いビジネスモデルでの競争に明け暮れ、改革は後退してしまいます。
主に中国市場、中国人観光客誘致、広告、マーケティングについて書いています。中国人から寄せられる鮮度の高い情報を中心にお届けします。(日本旅行の写真は上海・広州等在住の中国人が撮影したものです。)
2010年5月27日木曜日
2010年5月24日月曜日
1. バブル最中の『拡大期』 (あり余るおカネと組織の拡大)とその後遺症
前回は戦後の媒体社がいかに恵まれた環境で代理店もそれに乗っかってビジネスをしてきたかを書きました。
今日はバブル期です。
1. バブル最中の『拡大期』 (あり余るおカネと組織の拡大)
そうです。タイトルのとおり『広告主のお金が余っていた』のです。予算の果てしないカットに悩む今からすると考えられないですが、広告主は予算が余っていて、競合会社と競うように広告費を増やした。そうすると媒体社はどんどん単価を上げる。それでも追いつかないときはお断りに謝って歩くのが営業の仕事という嘘のようなホントの日々でした。
そのときに何が起きたかと言うと、代理店サイドの組織の多角化です。有り余る広告予算を消化するために、オリンピックの買い付けからセールスプロモーションまで一手に手掛ける、世界では類の無い『総合広告代理店』という業態が生まれたのです。営業を窓口に広告主の注文を一手に引き受ける、というビジネススタイルですね。
私がいた外資系の広告会社は一業種一社制であったため、サービスの向上が命題となっていました。数値による効果予測であるとか、そういうことを限られたデータの中で20年前によくやっていたものです。ただこれもまたネットが出てきたときにマンパワー不足という深刻な問題を生むことになってしまいます。
今広告業界が苦しんでいるのはこの業態からの転換がなかなかできないからです。逆に言うとバブル後に変化する機会が何度もあったのに、リーマンショックまで改革を伸ばしてきたということですね。正常に戻るのに何年かかるのか、はたまた二度と戻らないのか、想像がつきませんが、他の業態のプレーヤーに浸食されていくことだけは確かでしょう。
今日はバブル期です。
1. バブル最中の『拡大期』 (あり余るおカネと組織の拡大)
そうです。タイトルのとおり『広告主のお金が余っていた』のです。予算の果てしないカットに悩む今からすると考えられないですが、広告主は予算が余っていて、競合会社と競うように広告費を増やした。そうすると媒体社はどんどん単価を上げる。それでも追いつかないときはお断りに謝って歩くのが営業の仕事という嘘のようなホントの日々でした。
そのときに何が起きたかと言うと、代理店サイドの組織の多角化です。有り余る広告予算を消化するために、オリンピックの買い付けからセールスプロモーションまで一手に手掛ける、世界では類の無い『総合広告代理店』という業態が生まれたのです。営業を窓口に広告主の注文を一手に引き受ける、というビジネススタイルですね。
私がいた外資系の広告会社は一業種一社制であったため、サービスの向上が命題となっていました。数値による効果予測であるとか、そういうことを限られたデータの中で20年前によくやっていたものです。ただこれもまたネットが出てきたときにマンパワー不足という深刻な問題を生むことになってしまいます。
今広告業界が苦しんでいるのはこの業態からの転換がなかなかできないからです。逆に言うとバブル後に変化する機会が何度もあったのに、リーマンショックまで改革を伸ばしてきたということですね。正常に戻るのに何年かかるのか、はたまた二度と戻らないのか、想像がつきませんが、他の業態のプレーヤーに浸食されていくことだけは確かでしょう。
2010年5月21日金曜日
0 バブル以前の『自然成長期』
まずは
「0. バブル以前の『自然成長期』 (毎年のように日本に進出する企業の広告需要が増え、広告スペースが限られている売り手市場の時代)」
について書いてみたいと思います。若い人には想像もつかないかもしれないのですが、こんな時代があったのです!私が入社する前には。
日本企業は戦後ずっと右肩上がりで成長する、外資系は続々参入してくるということで、競争が起こり、広告費は40年くらい、一度も下がることがなかったのです。これは今から考えると奇跡的なことです。他の産業ではオイルショック等で深刻な打撃を受けたわけですから。なんでこんなことが可能だったか、考えてみました。3つの大きな要素に集約されます。
1.テレビ、新聞と言ったメイン媒体のスペースが限られており(当然インターネットなどというものはなかった)、売り手市場で、価格をコントロールできた。
2.その市場メカニズムをうまく利用して電通が産業をリードし、媒体社、代理店、プロダクションが毎年成長するようなシステムを作った。
3.1つの業種が停滞するたびに『救世主』的な業種が表れ、全体としての広告費が維持された。
これはおいしい市場です。特に地方のテレビ局や新聞など、1社や2社しかない時代は、ほとんど営業しなくても自動的に収入が増えたのですから。こんなおいしい市場を経験してきた上層部が、現在の厳しい状況に変化できるか、というと、それはなかなか難しいかもしれません。
今の時代も、産業的にはこの時代の名残は残っていますが、環境が変化してしまった以上、それをすべて捨て去るつもりで変革を起こしていくしかないでしょう。
「0. バブル以前の『自然成長期』 (毎年のように日本に進出する企業の広告需要が増え、広告スペースが限られている売り手市場の時代)」
について書いてみたいと思います。若い人には想像もつかないかもしれないのですが、こんな時代があったのです!私が入社する前には。
日本企業は戦後ずっと右肩上がりで成長する、外資系は続々参入してくるということで、競争が起こり、広告費は40年くらい、一度も下がることがなかったのです。これは今から考えると奇跡的なことです。他の産業ではオイルショック等で深刻な打撃を受けたわけですから。なんでこんなことが可能だったか、考えてみました。3つの大きな要素に集約されます。
1.テレビ、新聞と言ったメイン媒体のスペースが限られており(当然インターネットなどというものはなかった)、売り手市場で、価格をコントロールできた。
2.その市場メカニズムをうまく利用して電通が産業をリードし、媒体社、代理店、プロダクションが毎年成長するようなシステムを作った。
3.1つの業種が停滞するたびに『救世主』的な業種が表れ、全体としての広告費が維持された。
これはおいしい市場です。特に地方のテレビ局や新聞など、1社や2社しかない時代は、ほとんど営業しなくても自動的に収入が増えたのですから。こんなおいしい市場を経験してきた上層部が、現在の厳しい状況に変化できるか、というと、それはなかなか難しいかもしれません。
今の時代も、産業的にはこの時代の名残は残っていますが、環境が変化してしまった以上、それをすべて捨て去るつもりで変革を起こしていくしかないでしょう。
2010年5月19日水曜日
グローバル・マーケティング/広告を考える
今日からはタイトルも一新、私が20年間やってきたグローバルマーケティング/広告について書いていきたいと思います。ここ数年「ガラパゴス化」や「黒船来襲」がキーワードになっているようですが、実際に日本で外資系企業がどういう仕事をしているのか、日本の企業が海外でどういう仕事をしているのか、海外の現場はどうなっているのか、という実際の体験談を書いてみようと思います。
私が某外資系広告会社に入ったのは1989年、まさにバブル絶頂のときです。先日『赤プリ閉館』のニュースがあったとき、ツイッター上で『赤プリ』がどういう存在だったのかも、バブル時代の世の中のイメージも浮かばない、という広告業界の方がいらっしゃいました。結構びっくりしたのですが、まぁ、普通に考えると今の世の中からは到底想像がつかないことが平気で起こっていました。
一晩で何十万円使ったとか(残念ながら私じゃありません)、単にバブル時代をよかったと回顧するのは簡単ですが、そこからは何も生まれません。ただ、そこから起こったことを考察し、20年の変化をきちんととらえることで、次の一手が見いだせると思います。
私はマスコミ・広告業界には大体5年単位で大きな変化が起こり、それに伴って構造変化をしなくてはならなかったのを、先送りにしていたところにリーマンショックが起こったて今の状態になった、というのが実際のところではないかと思います。
0. バブル以前の『自然成長期』 (毎年のように日本に進出する企業の広告需要が増え、広告スペースが限られている売り手市場の時代)
1. バブル最中の『拡大期』 (あり余るおカネと組織の拡大)
2. windows 95 発売に伴う『IT化』(PCの普及、仕事のデジタル化)
3. 2000年前後のITバブルと『ネットワーク化』(仕事のボーダーレス化・グローバル化が加速)
4. ITバブル崩壊後の停滞と『みせかけ好景気』(売り上げは伸びているが実感が乏しい)
5. リーマンショックと『パニック期』(現在進行中)
次回以降、具体的にそれぞれの時代でどういうことが起きていたのか、国内にある外資系企業、海外に進出している日本企業との仕事、起きていたことを書いていきたいと思います。
私が某外資系広告会社に入ったのは1989年、まさにバブル絶頂のときです。先日『赤プリ閉館』のニュースがあったとき、ツイッター上で『赤プリ』がどういう存在だったのかも、バブル時代の世の中のイメージも浮かばない、という広告業界の方がいらっしゃいました。結構びっくりしたのですが、まぁ、普通に考えると今の世の中からは到底想像がつかないことが平気で起こっていました。
一晩で何十万円使ったとか(残念ながら私じゃありません)、単にバブル時代をよかったと回顧するのは簡単ですが、そこからは何も生まれません。ただ、そこから起こったことを考察し、20年の変化をきちんととらえることで、次の一手が見いだせると思います。
私はマスコミ・広告業界には大体5年単位で大きな変化が起こり、それに伴って構造変化をしなくてはならなかったのを、先送りにしていたところにリーマンショックが起こったて今の状態になった、というのが実際のところではないかと思います。
0. バブル以前の『自然成長期』 (毎年のように日本に進出する企業の広告需要が増え、広告スペースが限られている売り手市場の時代)
1. バブル最中の『拡大期』 (あり余るおカネと組織の拡大)
2. windows 95 発売に伴う『IT化』(PCの普及、仕事のデジタル化)
3. 2000年前後のITバブルと『ネットワーク化』(仕事のボーダーレス化・グローバル化が加速)
4. ITバブル崩壊後の停滞と『みせかけ好景気』(売り上げは伸びているが実感が乏しい)
5. リーマンショックと『パニック期』(現在進行中)
次回以降、具体的にそれぞれの時代でどういうことが起きていたのか、国内にある外資系企業、海外に進出している日本企業との仕事、起きていたことを書いていきたいと思います。
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